はい、こんばんは。
はるかです。
脊髄反射のように買ってしまった
幸腹グラフィティEDの「笑顔になる」は大変良いですね^^
同じCDに収録されている
「しあわせグラフィティ」も「ごはんの練習」も
とっても素敵です。
別のCDですが
OPの「幸せについて私が知っている5つの方法」
は、もはや神の領域です^^;
さて今回は、恒例の歌詞解説という事で
私自身が思った事などを考察していきたいと思います。
ターゲットは「しあわせグラフィティ」です。
まだ、検索エンジン上には解説サイトがなかったので
まどかのキャラソンの出遅れを経験に
スピード重視で行きたいと思いますw
まず、最初に悩むのが
この歌は誰の視点で、何を言いたいのか?
という点です。
歌詞の根幹に関わる部分ですが、
そこを読み取るのが至難の業です。
>人波におされて
>わたし今日もひとり
>いまごろあの子は
>なにをしてるのかな
この歌詞の主人公は、相方を「あの子」と
呼んでいます。
リョウ→きりん
きりん→リョウ
どちらも、下の名前で呼ぶ仲で
「あの子」という表現は使用しません。
なら二人の歌じゃ無いじゃん・・・で
終わってしまうので、大前提として
二人の歌である事が確定しているとして
話を進めますね。
リョウは、きりんの事を結構子供扱いしています。
それは原作でも「子供の伸ばし方」という本を読んで
頭をナデナデしたりしていますので、その当たりからでも
読み取ることができます。
リョウ自身、自分も子供だと分かっているので
敬語で話して大人びてみせたりしています。
(ちなみに、どうでもいいですが私が敬語キャラなのは
リョウさんとは別です。驚くかもですがリアルも敬語キャラです)
そんな事よりも、新小田さんは、
「誰が誰にとかいうのは読者に任せる」
と・・・したかったのかなあと詠んでいます。
多分、リアルの思い人も当てはまる様にしたかったのかな。
とりあえず、ここでは「リョウ→きりん」の歌と
して進めていきます。
この歌で一番興味があるのは、
二人の関係で、現在どうなているか?と
いう当たりでしょうか。
歌詞を熟読する限り、「私きょうもひとり」と
出だし初っぱなから、リョウはきりんと一緒に
暮らしていない事になります。
二人の関係は、次の通りです。
中学→①土日及び休みだけ会える
高校→②同棲
大学→③?
社会人→④?
四六時中一緒にいる高校の時の唄では無い事が
読み取れます。
では、①か③か④になるという訳です。
私きょう「も」「ひとり」なので
一人で居る時間が相当長く
思うように会えない状況ではないかと思います。
今頃何をしているのかな?
と想う事は、好きな人ができると当然の思想です。
その思い人と、離れている事がどれだけ悲しいかが
歌詞の中に織り込まれています。
新小田さんは、悲しさを表現するために、
楽しかった記憶を引き出して対比するという手法を使いました。
>あたたかな匂いと
>ふわふわの笑顔
ここは、きりんの匂いという訳ではく
きりんの雰囲気の事を比喩しています。
きりんと一緒にいるだけで、
こころが暖かくなるという感じでしょうか。
これを「思い出して」いるので
ここでも、現在は離ればなれという事がわかります。
おなかいっぱい食べる。
いただきます。
ごちそうさま。
これは、まるっきり普通の日常を表現しています。
普通の日常でも「好きな人一緒に」という形容がされると
幸せに変換されるのですね。
>たくさん笑ったね
もちろん、過去形です。
日本語には無い表現ですが、過去完了型かもしれないのが
興味のあるところです。
>しあわせグラフィティ
なぜグラフィティという表現を使ったのか
興味はありますが、幸腹グラフィティから持ってきた
以外に考えつかないので、深い意味は無いような気がします。
あえて言うなら「作る」「食べる」「笑う」という
行為を好きな人と一緒にする事により
それは、単なる落書き(日常)ではなく、グラフィティという芸術に
なると言いたかったのかなと思いました。
>お勉強に疲れて
ここであらたなキーワードが登場です。
これにより、上述の④は消えました。
残りは①か③という訳です。
大学生が「お勉強」という表現を使うとは
思えない(あるとしたらレポートw)ので
強引に除外したい感じです。
>こんな寒い日は
これで、季節まで絞り込まれました。
冬と断定するのは尚早ですけど、
大学生をドロップして、冬となると
中3で高校入試を控え、勉強するために
離ればなれになっている状況だと読み取れます。
リョウときりんは、週末コースなのですが、
いよいよ受験間近になると、コースに出席していない生徒が
原作(アニメ)に登場しています。
よって、週末コースも2月には、終わってしまうのかな?
でしたら1ヶ月近く離ればなれになっているはずで
その時の心境を唄にしたのでは?と
結論付けました。
なんか、本当の別れの寂しさとか
経験していないので、少し離れただけで
こんな唄を唄っちゃうリョウさん・・・
可愛いなあと思うのでした。
>うまくいかなくて悔しくて
>つらくって泣きたいときも
>きみがそばにいるから
>がんばるんだ、わたし
>さあ、ごはんの時間だよ
ここのフレーズは、一番言いたかった箇所に思えます。
アニメ・原作で一貫しているこの部分は、
どんなに辛い壁があっても、
「好きな人と一緒に食事ができる」
という「幸せパワー」で何でも乗り越えていけると
いう事ではないでしょうか。
つくる、たべる、わらう
のデュエットは、回数を数えてみました。
<リョウの回数>
たべる・・・4回
つくる・・・13回
わらう・・・3回
<きりんの回数>
たべる・・・14回
つくる・・・4回
わらう・・・3回
リョウの作った回数ときりんが食べた回数が一致しません。
これは、最後のフレーズ合わせでこうなったのか
宅配ピザで作っていないのに食べた回を入れたのか
正確な所はわかりません。
ということで、歌詞解説をおわります。
実は私、最初聞いたときは、
社会人になって、お互い別々に暮らして
離れた状態を表していたのかなあと思いました。
原作・アニメで「大人になってもずっと一緒で」という
フレーズを見たら、少し悲しくなってくる感じでした。
ですが、よく聞くと全然違うのでその発見を
文書として残しておきたかった訳です。
新小田さんのとっても可愛くて、素敵な歌詞を
昭和の歌謡曲風にした面白い作品でした。
<2015.03.27追記>
新小田さんがtwitterで返信してくれました。
ブログ見てくれてありがとうございます。
<追記終わり>
では、またね~♪
おやすみ。
以下のamazonのリンクで試聴できますよ♪
http://www.amazon.co.jp/しあわせグラフィティ/dp/B00TG8JGLG/
はるかです。
脊髄反射のように買ってしまった
幸腹グラフィティEDの「笑顔になる」は大変良いですね^^
同じCDに収録されている
「しあわせグラフィティ」も「ごはんの練習」も
とっても素敵です。
別のCDですが
OPの「幸せについて私が知っている5つの方法」
は、もはや神の領域です^^;
さて今回は、恒例の歌詞解説という事で
私自身が思った事などを考察していきたいと思います。
ターゲットは「しあわせグラフィティ」です。
まだ、検索エンジン上には解説サイトがなかったので
まどかのキャラソンの出遅れを経験に
スピード重視で行きたいと思いますw
まず、最初に悩むのが
この歌は誰の視点で、何を言いたいのか?
という点です。
歌詞の根幹に関わる部分ですが、
そこを読み取るのが至難の業です。
>人波におされて
>わたし今日もひとり
>いまごろあの子は
>なにをしてるのかな
この歌詞の主人公は、相方を「あの子」と
呼んでいます。
リョウ→きりん
きりん→リョウ
どちらも、下の名前で呼ぶ仲で
「あの子」という表現は使用しません。
なら二人の歌じゃ無いじゃん・・・で
終わってしまうので、大前提として
二人の歌である事が確定しているとして
話を進めますね。
リョウは、きりんの事を結構子供扱いしています。
それは原作でも「子供の伸ばし方」という本を読んで
頭をナデナデしたりしていますので、その当たりからでも
読み取ることができます。
リョウ自身、自分も子供だと分かっているので
敬語で話して大人びてみせたりしています。
(ちなみに、どうでもいいですが私が敬語キャラなのは
リョウさんとは別です。驚くかもですがリアルも敬語キャラです)
そんな事よりも、新小田さんは、
「誰が誰にとかいうのは読者に任せる」
と・・・したかったのかなあと詠んでいます。
多分、リアルの思い人も当てはまる様にしたかったのかな。
とりあえず、ここでは「リョウ→きりん」の歌と
して進めていきます。
この歌で一番興味があるのは、
二人の関係で、現在どうなているか?と
いう当たりでしょうか。
歌詞を熟読する限り、「私きょうもひとり」と
出だし初っぱなから、リョウはきりんと一緒に
暮らしていない事になります。
二人の関係は、次の通りです。
中学→①土日及び休みだけ会える
高校→②同棲
大学→③?
社会人→④?
四六時中一緒にいる高校の時の唄では無い事が
読み取れます。
では、①か③か④になるという訳です。
私きょう「も」「ひとり」なので
一人で居る時間が相当長く
思うように会えない状況ではないかと思います。
今頃何をしているのかな?
と想う事は、好きな人ができると当然の思想です。
その思い人と、離れている事がどれだけ悲しいかが
歌詞の中に織り込まれています。
新小田さんは、悲しさを表現するために、
楽しかった記憶を引き出して対比するという手法を使いました。
>あたたかな匂いと
>ふわふわの笑顔
ここは、きりんの匂いという訳ではく
きりんの雰囲気の事を比喩しています。
きりんと一緒にいるだけで、
こころが暖かくなるという感じでしょうか。
これを「思い出して」いるので
ここでも、現在は離ればなれという事がわかります。
おなかいっぱい食べる。
いただきます。
ごちそうさま。
これは、まるっきり普通の日常を表現しています。
普通の日常でも「好きな人一緒に」という形容がされると
幸せに変換されるのですね。
>たくさん笑ったね
もちろん、過去形です。
日本語には無い表現ですが、過去完了型かもしれないのが
興味のあるところです。
>しあわせグラフィティ
なぜグラフィティという表現を使ったのか
興味はありますが、幸腹グラフィティから持ってきた
以外に考えつかないので、深い意味は無いような気がします。
あえて言うなら「作る」「食べる」「笑う」という
行為を好きな人と一緒にする事により
それは、単なる落書き(日常)ではなく、グラフィティという芸術に
なると言いたかったのかなと思いました。
>お勉強に疲れて
ここであらたなキーワードが登場です。
これにより、上述の④は消えました。
残りは①か③という訳です。
大学生が「お勉強」という表現を使うとは
思えない(あるとしたらレポートw)ので
強引に除外したい感じです。
>こんな寒い日は
これで、季節まで絞り込まれました。
冬と断定するのは尚早ですけど、
大学生をドロップして、冬となると
中3で高校入試を控え、勉強するために
離ればなれになっている状況だと読み取れます。
リョウときりんは、週末コースなのですが、
いよいよ受験間近になると、コースに出席していない生徒が
原作(アニメ)に登場しています。
よって、週末コースも2月には、終わってしまうのかな?
でしたら1ヶ月近く離ればなれになっているはずで
その時の心境を唄にしたのでは?と
結論付けました。
なんか、本当の別れの寂しさとか
経験していないので、少し離れただけで
こんな唄を唄っちゃうリョウさん・・・
可愛いなあと思うのでした。
>うまくいかなくて悔しくて
>つらくって泣きたいときも
>きみがそばにいるから
>がんばるんだ、わたし
>さあ、ごはんの時間だよ
ここのフレーズは、一番言いたかった箇所に思えます。
アニメ・原作で一貫しているこの部分は、
どんなに辛い壁があっても、
「好きな人と一緒に食事ができる」
という「幸せパワー」で何でも乗り越えていけると
いう事ではないでしょうか。
つくる、たべる、わらう
のデュエットは、回数を数えてみました。
<リョウの回数>
たべる・・・4回
つくる・・・13回
わらう・・・3回
<きりんの回数>
たべる・・・14回
つくる・・・4回
わらう・・・3回
リョウの作った回数ときりんが食べた回数が一致しません。
これは、最後のフレーズ合わせでこうなったのか
宅配ピザで作っていないのに食べた回を入れたのか
正確な所はわかりません。
ということで、歌詞解説をおわります。
実は私、最初聞いたときは、
社会人になって、お互い別々に暮らして
離れた状態を表していたのかなあと思いました。
原作・アニメで「大人になってもずっと一緒で」という
フレーズを見たら、少し悲しくなってくる感じでした。
ですが、よく聞くと全然違うのでその発見を
文書として残しておきたかった訳です。
新小田さんのとっても可愛くて、素敵な歌詞を
昭和の歌謡曲風にした面白い作品でした。
<2015.03.27追記>
新小田さんがtwitterで返信してくれました。
ブログ見てくれてありがとうございます。
<追記終わり>
では、またね~♪
おやすみ。
以下のamazonのリンクで試聴できますよ♪
http://www.amazon.co.jp/しあわせグラフィティ/dp/B00TG8JGLG/
笑顔になる(フライングドッグ)より引用 |
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